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有島記念館と「生れ出る悩み」

2023年01月20日
弁護士  小坂 祥司   プロフィール

有島記念館と「生れ出る悩み」
 


今度は本の話です。法律関係の話を期待された方、ごめんなさい。

北海道の軽井沢といわれるニセコ。そこには日本有数のスキー場や温泉地があり観光客で賑わっています。しかし、ニセコ町そのものは観光地とは少し離れたところに位置し、こちらは閑静な住宅地であり落ち着いた町並みが広がっています。そのニセコ町の郊外の有島地区に、有島記念館という資料館があるのをご存知でしょうか。

明治、大正を生きた白樺派の作家として知られている有島武郎は、大蔵官僚の有島武の長男として生まれました。札幌農学校時代にキリスト教を信仰するようになり、その後アメリカ留学を経験します。キリスト教的博愛精神や社会主義的な考えから、父から相続した狩太村(現ニセコ町)周辺の広大な土地(有島農場)を自分のみが所有し続けることに疑問をもち、とうとう農場をそこで働く小作農に開放することにしたのです。音楽、美術、文学に才能を発揮し、白樺派の作家として数々の作品を発表したのですが、1923年(享年45歳)、女性記者と縊死体で発見されました。その詳しい事情は今もわからないままです。

有島記念館には、有島武郎の出生から没年までの足取りの記録や、作品の原稿、作家としての武郎の文壇での足跡だけではなく、狩太村(現ニセコ町)の大地主としての武郎とその土地開放に対する当時の評価から現在に到るまでの土地の共同利用の歴史が、整理されて展示されています。また、武郎が、新進の画家などへの援助を惜しまなかったということから、記念館でも新進の画家や彫刻家の発表の場所として展示場の一部が提供されており、武郎自身が音楽を愛好し、美術にも造形が深いなど芸術全般への関心も深かったこともあって、総合的な文化施設としての位置づけもあり、不定期ですが道内各地から様々なミュージシャンを招いてのコンサートも開催されています。喫茶コーナーもあって、挽きたての薫り高いコーヒーを飲むことができます(地元の専門店である高野珈琲店が出店しています)。
私はこの有島記念館に時々行きます。作家有島武郎への興味はもちろんのことですが、静かな時間を過ごせ、喫茶コーナーのコーヒーを楽しむことができるからでもあります。

有島武郎の作品には、「一房の葡萄」「小さき者へ」「カインの末裔」「或る女」などがありますが、最も世に知られた作品は「生まれ出る悩み」だと思います。この作品は、画家木田金次郎との交流を描いたものと言われています。しかし、この山と自然の美に魅せられた漁村に生きる一人の青年の苦悩や葛藤を追体験するのに、そのような背景事情を知っている必要はありません。作品の主要部分は「君」を主語とした特徴のある語り口で、このため読む人は「君」と一体化し、まるで自分のことのように見たり感じたりするのです。読者は「君」が苦しく厳しい冬の漁に出るところで実際に力仕事の苦しさや寒さを感じ、激しい嵐で船が転覆して遭難するところで固唾をのみ、生還した時に港が目に映るのをみて安堵します。「君」の苦悩も他人事ではなく、仲間と同じように漁業に関わりながら絵を描くことへの情熱を捨てきれない自分が、ここではまわりと同化できない異邦人であり、そうであることが、親や兄妹に負担をかけ続けていると考えて苦悩し、死に誘い込まれそうにさえなるのです。死への誘惑から「君」を覚醒させるのは、現実世界からの海産物製造会社の汽笛でした。我々読者もまたこの音で我にかえります。最後に「君」を救うのは、日常生活が生み出す音であり、それこそ、生命のもつ本能の強さだと言いたいのでしょうか。辛くも死への誘惑から目覚めた青年に、武郎は「冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし」と書き、生命の望むところに従え、生きよと言うのです。
後年の武郎の死を考えると、それは、自分はついに持ち得なかった強靱な生命力への讃歌だったのではないかとさえ思えてきます。

‥‥というところまでは、従来のこの作品についてよく言われる評価でした。ところが、この作品の読み方に新たな視点が加わり、その解釈にも変化が生じているらしいのです。

これまでは、漁業を営む家庭に長男として生まれた主人公の絵に寄せる思いと家業を継がなければならないという立場との両立困難な選択を迫られ苦悩する若者というとらえ方でした。そういう意味では主人公のいわば個人的な問題ということも出来ます。しかし、その後の読み方は変わってきています。この作品をよく読んでみると、主人公が苦悩するのは、単に芸術への挺身と家業に専念することの両立ではないのです。両立は、主人公においてすでに実現されており、家業をおろそかにしいていたなどという記述は何処にもなく、実際、仕事仲間と海に出て遭難しかかるような危険な作業にも加わっているのです。ところが、そうしながらも、彼自身は自分がここでは異邦人であり、周囲から浮き上がり、そのことで親族らに負担をかけていると悩みます。自分が絵画に、その対象となる山や海、厳しい冬といった自然の美に魅せられ、これを絵に書き留めようとする、その事に時間を費やそうとすること、それ自体が自分に許されないことなのではないかと悩むのです。現実の両立という実際的なものではなく、家業を継ぐこと以外に心を奪われる何ものかを持つこと自体に罪悪感を感じて苦悩しているのです。

こう読んでくると、これは単なる個人の問題ではなくなります。同じ悩みには有島武郎自身がぶつかったはずです。彼は、狩太村(現ニセコ町)に広大な農場をもつ父の長男であり、この農場を引き継いで主となるべき立場にいました。にもかかわらず、作家として生きる道を選んだのです。それは自分に許されることなのかどうかということを武郎自身も苦悩したに違いありません。武郎の主人公の苦悩に対する共感は、この点にもあったと考えなければならず、この作品が生み出された大きな要素の一つであったと考えられます。

ただ、このような家業を継ぐ、家督を長男が承継するという話はもはや過去の話であり、現在ではそれほど大きな問題ではなくなっています。家業と芸術を両立させている作家、芸術家も少なくないというこの時代に、武郎や主人公の苦悩にどの程度共感できるのかという疑問が生じてもおかしくはありません。
しかし、ここでも、新たな「読み」の可能性が示されていることを知りました。
武郎や主人公の苦悩には、長男として生まれ、家長となるべく育てられた者の苦悩という面のほかに、今なお根強い「男たる者、一家の長なのであるから、歌舞音曲にうつつをぬかすことなく、家族を守るべく仕事に専念すべきである」という昔ながらの意識との相克での苦悩という側面もあったのではないかという解釈です。つまり、ジェンダーに関係する問題がここにもあるのではないかという視点です。「男」はどうあるべきか、どういう生き方が求められるかという点では、表面的に変化はあったとしても、根深いところで、以前からある「男」観が顔を出すのを時に感じることは、今でもなくなってはいないはずです。まして作品が作られた時代を考えると、「男たるもの」という意識は想像以上に強く、文学や芸術に対しても、女・子どもがするものという見方が強かったと思われるのです。

そうすると、「生まれ出る悩み」の主人公は、家業と芸術の両立という現実的な点、家長でありながら芸術に惹かれ続けることについての自責、男ならば芸術などにかかずらわず家業に専心することが正しいとの観念に責められること、という重層的な苦悩を背負っていたということになります。このように考えると、主人公が、自分の置かれた境遇を考え、どこにも解決の道がないように思われて、つい自殺の誘惑に駆られてしまうということが実感をもって理解できるような気がします。「生まれ出る悩み」はここまでの読み込みが可能だったのか、と認識を新たにした次第です。

このような斬新な解釈の変化に接する機会にぶつかることも、この記念館を訪れる楽しみの一つです。

記念館には、常設の展示のほか、いろいろな視点から有島武郎の残した業績を研究する企画の展示もあり、新進の画家などによる展示などもあるので、来訪することで何か新しいものとの遭遇が期待できるように思います。もしニセコに行くことがあった場合には、少し足をのばして行ってみてはいかがでしょうか。


 

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