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コラム

 

私の野球遍歴その6(青年弁護士編)

2011年01月12日
弁護士  太田 賢二   プロフィール

 弁護士登録とともに、弁護士会野球部(札幌ローヤーズ)に入部。私ともう一人有力選手が入って、周囲から「全国制覇のチャンス」と言われた。前年度札幌は、準優勝だった。
 

 しかし新人弁護士の仕事は、正直きつかった。それで思うように練習に出られない。そして結果が出せない。ここ数年の自分の気持ちと違った重責に「と・ま・ど・い」。元々プレッシャーに弱いタイプ。なかなかチャンスに打てなかった。

 

 それでも1年目の予選で、全国制覇の常連東京チームに接戦で勝った。「よし、本当に全国制覇だ。」チームの誰もが思った。そして当時の福岡・平和台球場での決勝大会。前夜のチーム結団式(いわゆる飲み会)でのはしゃぎすぎもあって、よもやの準決勝敗退。雨が降っていたとか、時間制限があったとか、いろいろ言い訳の理由はあったけれども、負けは負け。その夜の「チーム慰労会(畜生会)」は大いに荒れた。僕は、「もう弁護士の野球なんかやりたくないよお。」と口走っていた。

 

 そう、一方で朝野球は続けていた。朝4時過ぎに起きてグラウンドに向かうのは本当に気が重い。それでもいったんグラウンドに立つと、そこには紛れもない「野球」があった。仕事なんて関係ない。野球が好きな連中だけの時間。日々の自分とは違う時間。気がついたら朝野球ではキャプテンを仰せつかるまでになっていた。

 

 弁護士会の野球は、2年目に、予選での敗退。この頃から、「自分のやりたい野球、楽しい野球をしよう」と割り切って、弁護士会の野球に参加するようにした。当初外野を任されていたが、「自分はセカンドがやりたい。」とわがままを言うことにした。そうして3年目に、自分の力は半分も出せなかったけれども、運良く全国制覇を経験させてもらった。すごくうれしかったけれども、「(優勝)させてもらった」というのが、正直な気持ちであった。

 

 それから数年間は、弁護士会の野球と朝野球の掛け持ち。毎年のように、もう野球はやめにしようかなあ、と思っていた。でも2月頃になると、土のにおいが恋しくなる。

 

 

 弁護士7年目の全国大会準決勝で、久しぶりに先発出場した。このとき、ずいぶん長い間忘れていた緊張感が身体を走った。なぜだかわからない。いや何となくわかっていたのだがそれを言葉にできない。とにかくそんな緊張感の中で、すごく良い感じで野球をしていた。途中までは。それが最後の打席、一塁に向かって走る途中、左足に激痛が走った。肉離れだった。身体が、久しぶりの緊張感について行けなかったんだと思う。

 

 そして翌年、ほぼ常時出場して、2度目の全国制覇。このときは、それなりにチームに貢献できたと思う。当初セカンドを守っていた僕は、最後怪我人が出たりして、急遽キャッチャーをすることになった。ウイニングボールは、その僕のミットに収まった。


(続く)

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