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コラム

 

私の野球遍歴(その5・20代編)

2010年09月24日
弁護士  太田 賢二   プロフィール

 大学の体育会野球部を辞めても、結局野球からは足を洗うことができずじまい。すぐに高校時代の友達から朝野球の声がかかった。草野球では当然主力。ピッチャーもやることになった。勝つのも楽しかったが、野球をすることそのものが楽しかった。このときから他のスポーツと違って、「もっとうまくならなければならない」なんて余計なプレッシャーがなくなった。ホームラン打てば楽しい、投げても楽しい、そしてエラーをしても楽しかった。それは、きっと野球をする時間というものが、自分自身の目指すべき時間と違うところに位置するようになったからなのだろう。

 

 そうそう、当時こんな風に思ったことを覚えている。

 「ずっとやってきた野球を辞めたんだから、それに見合う何かを自分で探さなあかん。」

 そうして僕は、司法試験を目指すことにした。

 

 その後朝野球は、司法試験を受験している間中辞めなかった。当時の司法試験の最終には、東京で、口述試験というものがあった。これは約1週間の長丁場。ちょうど阪神が何十年ぶりかで優勝した年。口述試験の最中に、東京のホテルで、阪神優勝の特番をずっと見ていた記憶がある。また、ある科目で「失敗したなあ」と思った日、ホテルの周りをうろついてバッティングセンターを見つけて、ひたすらボールを打ち続けた。
 
 26歳の時、なんとか司法試験に合格し、翌年の夏に札幌へ来た。この年だけ、ほとんど野球をする機会がなった。皮肉にもこの年、遊びでやっていたソフトボールで、肩を痛めた。病院で精密検査を受けると、「手術をすれば良くなります。でも3ヶ月ほど手を吊っていなければなりません。」さすがにそこまではしなかった。


 札幌で最初の冬を終え、春が待ち遠しい頃、土の上でボールを追いたくてたまらない気持ちになって、朝野球チームを探して入った。しかし肩は思うように回らない。大学体育会経験者という肩書きはあっさり捨てられた。それでも野球は楽しかった。バッターボックスに入って、投手の投げるのを待つ。その緊張感がたまらなかった。

 

(続く)

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