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コラム

 

憲法の理念を伝える活動 −高校の授業に参加しています(その2)

2009年10月09日
弁護士  川島 英雄   プロフィール

 「高校生に伝えたいと考えている憲法の理念とはどういったものか」

  

 ここでは、私が高校生に伝えたいと考えている「(私の考える)日本国憲法の理念」についてお伝えしたいと思います。

 

 厳密な意味ではもっと言い方もあるのかもしれませんが、限られた時間の中で、専門知識を持たない高校生に対して簡単に内容を伝えるという意味で、私が高校生に伝えたいと考えている「日本国憲法の理念」とは「個人の尊重」ということです。
 

 よく「個人の尊重」を「わがまま」や「自分勝手」と解釈する改憲論者がいますが、大きな間違いです。憲法を学んでいる人間の中で、「個人の尊重」という言葉を「自分勝手」などと解釈する人間はほとんどいないのではないでしょうか。
 

 私が「日本国憲法の理念」として考える「個人の尊重」というのは、「『国』や『社会』といった存在よりも、まずはそこにいる一人の人間を最大限尊重し、大事にする」という考え方をいいます。これは、次のような例題を考えてもらえればご理解いただけるのではないかと思います。

 

 「国」と「個人」は、どちらが大事でしょうか?

 

 これは高校生の前でも質問してみたことがあります。意外と「国」と答える高校生もいました。
 

 私の答えは、もちろん「個人」です。なぜなら、「国」がなくても「人」は存在できますが、「人」がいない「国」はありえないからです(学校の授業では「国家の三要素」というものを学びます。「領域(領土など)」「権力(主権)」と、もう一つはもちろん「人」です。ここでも「人」が「国」の不可欠の要素であることがわかります。)。
 

 もちろん、「国」よりも「個人」が大事だからといって、自分勝手を許すというわけではありません。人が人と関わりを持って生きていく以上、その人が最大限「個人の尊重」を受けるのと同様に、他人も「個人の尊重」を受けるはずです。そのときにはどこかでお互いの尊重同士がぶつかり合う可能性があります。そういうときは、お互いに譲り合う必要も出てくるでしょう。でも、こういう場面でも、初めから「国のために」とか「社会のために」といった理由で譲るのではなく、あくまでも個々人それぞれが最大限尊重される価値観が必要なのだと思います。自分が他人と同じくらい大事にされていると感じられなければ、他人に対しても自分と同じように大事にしてあげたいという気持ちも生まれてこないのではないでしょうか。
 

 こうしたイメージで考えれば、究極の価値観として、「『国』と『個人』は、どちらが大事でしょうか?」と尋ねられた場合にはやはり『個人』と考えるべきなのではないでしょうか。それが、私の考える「個人の尊重」です。

 

 日本国憲法は、この「個人の尊重」を出発点に考えられていると思います。
 

 「個人の尊重」のために、時の権力者を制限して個々人の「人権(基本的人権)」を守るための「憲法」という概念が生まれました(そう、憲法は「国家権力が守るべきルール」なのです。国民が守るべきルールではありません。これも一般の方は全く意識していないことだと思います。)。
 

 「人権(基本的人権)」を守るためには、国のあり方を決める権限が国民の側になければならないと考えたので、主権が国民にあるという「国民主権」が定められました。
 

 「人権(基本的人権)」を守るためには、平和でなければならないと考えたので、9条を置く「平和主義」が採用されました。
 

 なぜ三大原則があるのか、基本的人権を尊重するということはどういうことか、その根底にある価値観は何なのか、その答えが「個人の尊重」なのだと思います。
 

 そして、憲法とは、こうした「個人の尊重」のために、国家権力を制限して国民の権利・利益を守るためのものなのです。

 

 私が高校生に伝えたいと考えているのは、ごく簡単に言ってしまえば、こうした「個人の尊重」という価値観の大切さと、そのために存在する「日本国憲法」というものの大切さなのです。(続く)
 

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