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コラム

 

私の野球遍歴(その4・大学編)

2009年05月08日
弁護士  太田 賢二   プロフィール

 地元の金沢大学法文学部に入学。入学当初は,憲法研究会やサッカー同好会なんかをさまよい歩いていた。しかし,なかなか気力がわかない。自宅から大学キャンパスに歩いて通う怠惰な毎日だった。いわば五月病とでもいう症状。5月の連休には,田舎を離れて都会へ旅立っていった高校時代の仲間の活き活きとした雰囲気が無性に鼻についた。
 

 そんな僕を,高校の野球部の同級生が,体育会野球部に誘った。


 大学時代,僕の野球のテーマは,自分自身だった。神宮球場での全国大会といわれても,もはや甲子園ほど僕を魅了しなかった。そんな中で,スイッチヒッターをイメージした。


 それなりに頑張っていたと思う。しかし,常に「何で大学まで来て野球なんかやっているのか。」という自問自答の繰り返しだった。田舎の国立大学の体育会野球部では,それぞれが講義やバイトがあって,ある程度それらが優先する。また,正直全員が勝つことだけを求めて野球をしているわけでもなかった。その中途半端なところに,僕自身がいた。実際バイトも結構やっていた。免許を取りに自動車学校へ行くために練習をさぼったこともある。ある飲み会で,野球部の先輩から,「泉ヶ丘のキャプテンまでやったおまえが,どうして中途半端にしか野球ができないんだ。」とののしられた。その通り。でも,現実にがむしゃらになれない自分も自分。一番わかっていた。あんなに大切だった野球が,単なる暇つぶしになっていた。何とかしたい。何とか抜け出さなくては。


 2年生の正月。3度目の春の大会で野球部を辞めることを決意。そう決めて,それから数ヶ月,久しぶりに必死に練習した。もう1回,自分自身を奮い立たせた。レギュラーを取る。そして,神宮全国大会をめざす。
 

 最後の春の大会。退部届をバックの奥に持ち歩いて,各試合に臨む。「内野の控え,代打の切り札。」というあたり。充実していた。練習試合を含めて,7打席連続代打安打を打った。


 そして神宮大会への代表決定戦。強豪福井工大に9回表まで2対0で勝っていた。後スリーアウトで全国大会。しかし,それからチーム全体が浮き足立った延長の末逆転負け。
 

 自分の中には,悔しさよりも,「勝つための野球はこれでおしまい」。自分に言い聞かせるように,退部届を提出した。
 

 この夏,6週間の欧州旅行へ。その中で,野球を辞めた上の目標として,はじめて「司法試験を目指す。」ことを決意した。 

 

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